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お酒は程々に ~酒乱の黒田清隆と、天敵木戸孝允編~

笑い話からシャレにならないものまで、今日もそこかしこで酒の失敗は起きています。

 

と、いうわけで今回も酒の失敗を紹介します。具体的には、薩摩藩出身の黒田清隆のエピソードを中心に紹介したいと思います。

 

黒田清隆と言ったら伊藤博文に次ぐ2代目の総理大臣で、薩摩藩を代表する政治家でもあります。

 

けれども伊藤や木戸孝允大久保利通などと比べるとイマイチぱっとしない印象なのは、多分プライベートに色々と問題があったためです。

そしてプライベートの問題として最も有名なのが、彼の酒乱の気質です。それでは彼の酒乱ぶりは、一体どのようなものだったのでしょうか?

 

 

酔うと危険な黒田清隆

黒田清隆は、典型的な「飲まなけりゃイイ人なのに…」だったみたいです。

 

素面の時の彼は、例えば箱館戦争前後の榎本武揚との交流の様に侠気溢れる行動で有名です。けれども一たび酒が入ると普段の様子が一変します。

 

私が読んだことがある史料だけでも、

 

・大畑裕『新修養と向上発展』(求光閣書店,1916)

・熊田宗次郎編『観樹将軍縦横談』(実業之日本社,1924)

・田中香涯『医事雑考奇珍怪』(鳳鳴堂書店,1939)

 

と年代も作者も異なる本で、様々な酒乱のエピソードが紹介されています。これだけ酒乱のことが紹介される人物もそうはいないでしょう。

 

暴れる黒田、取り押さえる木戸孝允

そして面白いことに、上記の3つの本はいずれも木戸孝允との絡みを紹介しています。どれも若干話の細部が異なり同じエピソードではなさそうなのですが、いずれも似たパターンの話となります。

 

まずは、三浦梧楼の昔話をまとめた『観樹将軍縦横談』pp.27-28から(以下、旧字体・旧仮名遣いは現代のものに改め、適宜句読点を補った箇所があります。また〔 〕内は、私が送り仮名をふったものです)。

 

或年の正月三日であった、黒田が木戸の所へ年礼に遣って来たが、散々飲んだ果てに暴れ出した、木戸が色々和〔なだ〕めても、中々肯〔き〕かない

 

年頭の挨拶に押し掛けた挙句、勝手に酒を飲んで暴れ出すって迷惑千万極まりません。そしてさらに、

 

果ては木戸に躍り掛かって往〔い〕ったが、木戸は柔術を心得ている、黒田は唯蛮勇ばかりで、木戸の敵ではない、木戸はイキナリ大腰に掛けて、物の美事に投げ付け、両手で喉を締めつつ、

「何〔ど〕うぢゃ、参ったか。」

と言うと、

「参った参った、免〔ゆる〕せ」

と謝る。

「ソレぢゃ帰れ。」

と言って、手を放し、駕籠へ載せて、送り還〔かえ〕したが、アノ乱暴者が、木戸には全く閉口して居ったものだ。 

  

酔った勢いで殴り掛かるって…後の総理大臣がこんなんでいいんでしょうかね。

 

そしてその黒田を華麗に撃退する木戸孝允。駕籠に乗せて帰らせる辺り中々スマートな感じです。

 

で、実は黒田が殴り掛かるエピソードってこれだけじゃないんです。

 

木戸と黒田の乱闘は何回も起きていた?

次に『医事雑考奇珍怪』のpp.240-241を開いてみれば

 

伊藤痴遊の講談集の中に次のような寓話が載っている。黒田は如何なる酒席に臨んでも、酔えば必らず乱暴する。腕力が非常に強いので、酒の勢で暴れだすと、どうにも仕様がなかった。ある時の宴会で例の如く暴れ出した。手のつけようが無く、その為すが儘に任せておくと、丁度その時木戸孝允が列席していたのだが、黒田は木戸に向って飛び掛かって、いきなり鉄拳を振い殴打した。ところが木戸は有名なる剣客斎藤弥九郎の高弟で屈指の武術家だから、忽〔たちま〕ちに黒田を取て押〔おさ〕え、毛布に包んでその上を細引でグルグル巻きにし、「さあ、黒田の邸へこの荷物を送れ」と馬車で黒田の邸へ送り込んだ。黒田も荷物扱いにせられては、とても堪らない。これから後は、どんなに暴れても「さあ木戸が来た」と言えば、忽ち乱暴するのが治まった 

  

厳密にはこれ、伊藤痴遊の本からの孫引きになっていて原典がわからないエピソードなのですが、どなたか初出を知らないでしょうか?

 

まぁそれはさておき、今回は腹が立ったのか、木戸さんも駕籠で送るなんてスマートな真似でなく、毛布で簀巻きにして送り返す強引な決着に。

 

けれどもこれに懲りたのか、これ以降「木戸が来た」と言えば流石の黒田もおとなしくなった模様。木戸さんはナマハゲか何かなのでしょうか。

 

これで何度目だ黒田清隆

そして『新修養と向上発展』p.168を見てみると、似ているけど細部が異なるエピソードが。

 

黒田清隆、内閣に於て木戸孝允と激論し、余憤禁せず直ちに木戸の家に至りて猶ほ論ずる所あり、孝允百方之を慰諭すれど聴かず、却て拳骨を揮〔ふるっ〕て孝允を撃たんとすれば、孝允急に起て側にある毛布を以て清隆を包む、清隆、腕力に於て孝允に及ばず、故に為すがままに従う、孝允家令を呼んで之に命じて曰く、「此の荷物を黒田様の別当に渡せ、旦那は今晩お泊りだから之を持て帰れ」と言えと、清隆、毛布の内より之を聞て、怒り始めて解く 

  

毛布で包む辺り伊藤痴遊の講談集と同じエピソードっぽいですが、状況描写が若干異なるエピソードです。

 

この3つのエピソード、仮に違う出来事を紹介したものだとしたら、黒田清隆は一体何度木戸さんに殴り掛かったのでしょうか。そして、木戸さんは何回黒田を撃退したのでしょう…?

 

木戸孝允日記』に見る黒田

まぁ真偽のほどはさておき、これだけ豊富に逸話が出てくる辺り、何もなかったという事はおそらくないのでしょう。

 

そしてこのようなエピソードを踏まえて『木戸孝允日記』を読んでいくと、黒田はしょっちゅう木戸さんに差し入れを持ってくるのです。

 

例えば明治6(1873)年8月21日には

 

其より駒場に至り、別邸地を巡視し、帰途黒田開拓長官に逢。同氏の誘引にて、開拓地所の草木及牛を一見す。大南京量十三貫目モロコシ三種持帰れリ。黒田の周旋なり

 

と記されてますし、明治9(1876)年9月28日にも

 

黒田開拓長官より塩鮭二尾を贈れり

 

とか書いてあります。この辺り乱闘の詫びなのかなぁとか思って読んでいくと、色々面白くなってきます。

 

まぁ木戸さんは木戸さんで、お酒に関しては結構困った人なのですが…上には上がいるというお話でした。