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木戸孝允が世界で一番衝撃を受けた風呂

今回も『木戸孝允日記』を史料に用いつつ、木戸の意外な一面に迫りたいと思います。

 

明治4(1871)年から明治6(1873)年にかけて、海外諸国を歴訪する岩倉遣外使節団が派遣されました。木戸は使節団の副使として諸外国の高官と面会しただけでなく、政府機関や工場などを視察し、近代化の要諦を学ぶこととなります。

 

しかし、木戸が視察したのはお堅い場所だけではありませんでした。何を隠そう、木戸は大のお風呂好きでもあったのです。

 

そんな木戸のお眼鏡にかなったお風呂とは、一体どの国の、どのような風呂なのでしょうか?

(以下、〔 〕内は私が行った注釈です。また適宜旧字体新字体に改めたり、句読点を挿入しています)。

 

 

岩倉遣外使節団のおさらい

まずは、岩倉遣外使節団について概要を紹介します。

 

アジア歴史資料センター(https://www.jacar.go.jp/)から岩倉遣外使節団に関する説明を引用すると、

 

岩倉使節団は、明治新政府によって派遣された大規模な公式の使節団です。政府で重要な位置を占める人々が参加するこの初の使節団の派遣は、明治維新によって新しい時代を切り拓きつつあった当時の日本にとって、国づくりをかけた大きな試みでした。

使節団は、明治4年11月12日(西暦1871年12月23日)に横浜を出航しました。太平洋を渡って米国に半年以上滞在して後、大西洋を越え、同年7月13日(西暦では8月17日)に欧州に入りました。そして、英国に約4ヶ月間滞在したのをはじめとして、欧州の国々を1年近くにわたって歴訪しました。明治6年(1873年)7月20日に仏国マルセイユ港を発った使節団は、スエズ運河経由でインド洋をまわり、明治6年(1873年)9月13日に横浜に帰り着きました。この時、10ヶ月半という当初の予定を大きく超過して、出発から約1年10ヶ月という月日が経っていました。

 

と、記されています。

 

使節団は当初目的に含まれた条約改正の予備交渉には失敗したものの、この時団員が学んだ欧米諸国の知見が、後に日本の近代化に活かされることとなります。

また使節団には津田梅子など多くの留学生が同行しており、これらの留学生もまた、帰国後に様々な分野で活躍することとなります。

 

使節団で木戸が得たもの

この使節団は、名前に示される通り岩倉具視特命全権大使を務めました。そして木戸、大久保利通伊藤博文山口尚芳の4名が副使として随行することとなります。

 

少し真面目な話をすると、木戸はこの海外視察を通じて立憲政体の重要性を認識しました。

 

坂野潤治『近代日本の国家構想』(岩波書店,2009)によれば、木戸は民意を政策に反映することと、そのための法整備が何より重要であると考えるようになったようです。

 

例えば1873年に提出した建議書において、木戸は各国の「廃興存亡スル所以」は「要ハ政規典則ノ隆替得失如何」にあると述べ、何よりも法制度の整備を重視すべきと主張しています。そして欧米諸国の「政治ノ美ナル所以」として、議会制などにより「非常ノ変ニ際スト雖モ民意ノ許ス所ニ非ザレバ其措置ヲ縦ニスルヲ得」ない点を評価、この観点から木戸は議会に基づく立憲政体を樹立することを目指すようになりました。

 

近代日本の国家構想―1871‐1936 (岩波現代文庫)

近代日本の国家構想―1871‐1936 (岩波現代文庫)

 

(上記の内容は、こちらで学んだ内容となります)

 

一方で木戸は、この期間中に森有礼と大喧嘩したり、大久保としっくりいかなくなってしまったりもするのですが、それはまた別の話です。

 

風呂を満喫する木戸

まぁ堅苦しい話はここまでにして、木戸さんは真面目に公務をこなす一方で、暇を見つけては各地でお風呂に通っています。

 

特にアメリカ滞在中の明治5(1872)年1月5日から12日の間は、どうやら付近に温泉があったようで連日のように温泉に通ったりしています(そしてしれっと、そのお陰で痔の痛みがだいぶ良くなったなんて記していたり)。

 

そんな木戸さんが、『木戸日記』にて

 

米欧中、未如此の全備にして美なる湯浴の屋を不見

 

と非常に高く評価したお風呂は、ロシアのサンクトペテルブルク近郊にありました。

 

この記述は明治6(1873)年4月10日のものなのですが、それでは一体どのようなお風呂だったのでしょうか?

 

木戸もうなった美麗なお風呂

同月〔4月〕10日

〔前略〕

湯浴楼に至る、尤余等の至りし室第一なり、湯浴室ともに五室あり、装飾及不浄の一室あり、衣服を脱着するの一室あり、浴後平臥するの一室あり、身体髪を洗浄する一室あり、此室に風呂も備えり、蒸気にて全身を蒸すの室あり、蒸気の厚薄自在にして、一種の枯芝を枕にし、適意のときまでこの室中の棚に臥す、此趣実に妙、或は使駆の夫、或は芝を以て全身をうち、また汚穢を流洗す、実に愉快を覚えり

 

この記述を見る限り、木戸さんは「バーニャ」と呼ばれるロシア式のサウナがいたく気に入った模様です。

 

sauna-ikitai.com(こちらでは現代のバーニャの様子が詳しく紹介されています)

 

「此趣実に妙」とか「実に愉快を覚えり」など、木戸さんのテンションが上がっている様がうかがえてこちらも楽しくなってきてしまいます。

 

木戸さんは誠実な政治家である一方で、日記の端々から人生楽しんでいる感が伝わってきて何となくほっこりしてしまいます。だから私は、歴史上の人物で木戸さんが一番好きな人物ですね~