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地震とアメリカの異種格闘技戦

さて先日は安政江戸地震の瓦版を紹介しましたが、今回はユニークな瓦版の一形態、鯰絵について紹介したいと思います。

 

安政江戸地震が発生したのは1855年、ちょうど日米和親条約を締結した翌年となります。そのような世相を反映して、地震と同時に様々な風刺画が作られました。そのような鯰絵から、当時の雰囲気を読み取っていきたいと思います~(以下、〔 〕内は私が行った注釈です。また適宜句読点を挿入しています)

 

 

安政江戸地震と鯰絵

さて鯰絵とは一体何なのか。『世界大百科事典』から引用すると

1855年(安政2)10月の安政の大地震を契機に,江戸市中に大量に出回った鯰の怪物を描いた浮世絵版画。地底の大鯰が地震を引き起こすという民間信仰に基づいて描かれた版画で,一部は地震の護符や守り札とされた。しかしその大半は,あいつぐ天災や政治の混迷などによる民衆の欲求不満を一時的に満たす憂さばらしに使われるような内容のものが多く,幕府によって販売が禁じられたにもかかわらず,さまざまな絵柄や文言をもつものが作られた。

というものです。

 

今でも地震時の緊急交通路にはナマズのイラストが描かれていますが、古来より日本では地中のナマズが揺れ動くことで地震が生じると考えられていました。そしてこの伝承をモチーフに、地震を擬ナマズ化(?)して面白おかしく描かれているのが鯰絵です。

 

多くの鯰絵が、『世界大百科事典』にも記されるように政治の混迷など時代情勢を反映した描写となっているのですが、中には前年の開国に言及した鯰絵もあったりします。

 

ナマズ VS アメリカ ファイッ!!

そんな鯰絵の中でも私が気に入っているのがこちら。

http://www.bestweb-link.net/PD-Museum-of-Art/ukiyoe/ukiyoe/Namazue-yoko/037.jpg

(こちらの瓦版は、パブリックドメイン美術館 鯰絵(なまずえ)から転載しています)

 

これは「安政二年十月二日大地震鯰問答」という作品なのですが、見ての通りナマズと男が首相撲をしており、この男、上部のセリフを見るとなんとアメリカです。傍らに鉄砲が置いてありますが、これは黒船の武力などを示したものなのでしょうか…?

 

で、どういうわけかナマズとアメリカが対決するわけですが、戦いながらこのナマズ

ヤアあめりかのへげたれ〔注.大阪、京言葉でいくじなし、馬鹿たれのことです〕め、此日本をばかにして、二三ねんあとからおしをつよくもきやあがる、うぬらがくるので江戸のまちがそうぞうしい、やくにもたたねへこうえき〔交易〕なんぞとりかへへいハよしてくれ、江戸中あるくあめうりで沢山だ、用ハねへからはやくしりにほをかけてかぢ〔舵〕をなを〔直〕してさつさと立され、立され

 とアメリカに、「用はないからさっさと立ち去れ」なんて要求しています。

この辺り、開国を問題視して批判的に考えた人がいたことがわかります。

 

ただ面白いのが、アメリカはアメリカでやられっぱなしではありません。

なにをこしやくななまづぼうず、てまえたちのしるところでねへ、おらが国ハおじひ〔お慈悲〕な国で、しよく人でもかりうどでも、なんでもじひをするものハ、けふまで存山をはたらひても、あすハ見だされ王となる、それゆへ諸々の国々からしたつてくるので、がつしゆこくといふ国だア

と、何故だか方言丸出しでお国自慢をしつつナマズに対抗。ナマズも負けじと

だまれペロリ〔ペリーのことでしょうね〕

だの

ヱヱ、やかましい毛とうじん、たちさらずバどろのなかへうづめてくれん

と言い返しつつ、延々と争いを続けます。

 

戦いの結末やいかに!?

そして真ん中にいるのは行司的な人。この人は左官なのですが

アア、両方ともに、しづまれ、しづまれ、とふからんものハ、ひびきのおとニも、おききなせへ、ちかくハよつて、めにもミますの古蔵のやぶれ、すミからすミまで、あらうちを、たのむたのむとたのまれて、おちたるかべものしつける、小手のきいたる江戸ツ子と、ミなさん方のおほめにあづかるも、こんどのじしんのさハぎから、これをおもへバありがてへ、まづまづまづ、御両所とも、いざこざなしに、くびつひき、アア、見たくでもねへ、およしなせへ

 と両者の仲裁に入ります。当時左官は建物を直すために注文が相次ぎ、震災特需とも言える状況にありました。それは「じしんのさハぎ」を「ありがてへ」なんて言っちゃってる辺りに示されてそうですね。

 

ただ単に左官が儲かって嬉しいってだけでなく、アメリカに「立ち去れ」と要求するナマズに軍配が上がっている辺り、当時の人々の期待を反映しているように思えてなりません。

 

鯰絵に込められた思い

この絵には、一体どのような気持ちが込められているのでしょうか。

鯰絵を研究する北原糸子は「瓦版―消費される情報・蓄積される記憶」(宮田登ほか著『鯰絵-震災と日本文化』里文出版,1995、所収)において、次のように述べています。

地震鯰絵のモチーフは多様であるが、共通するのは〔中略〕いずれも震災後に起きた常ならぬ社会現象を風刺しつつ歓迎している点であろう。〔中略〕かかえる現実が楽観的でないことを考えれば、ここに描かれているのは、現実と願望のないまぜであることは容易に察しが付く。〔中略〕図の人物はアメリカを代表するが、同時期に来航したロシアのプチャーチンをも兼ねる外圧一般を意味している。〔中略〕つまりこの図は、当時押し寄せるアメリカを中心とする外圧と災害(地震津波)を象徴する鯰との対決の構図である。

 

私の頭では分かったような分からないような、という所なのですが、どうやら地震からの復興を通じて災害からの復活だけでなく、開国によって動揺する社会そのものの復活が期待される風潮があった模様。

そしてこのような民衆の社会の立て直しを求める潜在的なエネルギーが、明治維新やら何やらの背後に存在したと考えられているようです。

 

明治維新というと、このブログでも紹介した有名人の活動ばかりがクローズアップされがちです。けれどもその背後にもっとたくさんの人の考えがあったと思うと、それも面白いように私は思いますね。