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今も昔も、御朱印集めは大人気! ~戦前の御朱印帳を読む~

突然ですが、最近仕事絡みでこのようなものを入手しました。

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御朱印でなく「御集印」とは珍しい感じですが、それもそのはず、この御集印帳は昭和初期に使われた年代物。

 

御朱印集めというと2010年代になってからブームになった感もありますが、そもそもは室町時代~江戸時代から行われている習慣だそう。

どれくらいの人が、どのような感覚で御朱印を集めたのかは分かりませんが、戦前にもこの御朱印帳の持ち主のように、各地の御朱印を集めた人がいたわけです。

と、いうわけで今回はこの御集印帳を紐解きつつ、興味深い内容を紹介していきたいと思います。

 

 

そもそも御朱印って何?

まず最初に、御朱印について簡単に御紹介を。

御朱印とは・もらい方 | 御朱印・神社メモによれば、御朱印とは

神社や寺院において、参拝者に向けて押印される印章・印影の事です。
押印の他に、参拝した日付、寺社名・御祭神・御本尊の名前などを墨書きして下さるところが一般的です。

また、御朱印をもらう(本来は「拝受」や「頂く」と言いますが分かりやすくもらうと書いています)ために使用する帳面を、「御朱印帳(ごしゅいんちょう)」と呼びます。

御朱印の起源は、寺社へ写経を納めた(納経)際の受付印であったとされています。

といったものだそう。

また同サイトによれば、「御朱印」という名称は昭和初期から用いられるようになったとのこと。これが本当だとすると、今回入手した御朱印帳が「御集印帳」と表記がブレているのも、御朱印という用語が一般化していなかった証左なのかもしれません。

 

御朱印帳の持ち主はどんな人だったのか?

残念ながら私が入手したのはこの御朱印帳だけなので、持ち主の方を推測する要素は限られています。

ただ、

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左ページのスタンプには、樺太の中心的な都市だった豊原の愛国婦人会の名前が記されています。その詳細は不明ながらも「歓迎」や錨のマークなどから、日本軍、それも海軍関係者を歓迎する行事と関連したスタンプかもしれません。

 

これを手がかりに想像力をたくましくすれば、右ページの御朱印が高知の宿毛町(注.日本海軍の代表的な泊地があった場所)だったり、他のページにある舞鶴(注. 呉、横須賀、佐世保と共に、海軍の鎮守府がおかれた重要拠点)のスタンプも意味をもってくるようです。

おそらく持ち主の方は、海軍の艦艇に乗り込んでいたのではないでしょうか。少なくともあちこちを飛び回っていた方なのは間違いないようで、御朱印は全国各地のものが押されているだけでなく、中には外地の神社のものもありました。

とくに外地の神社は、大日本帝国の崩壊に伴い破却されたものばかり。そんな歴史に埋もれた今は亡き神社の面影を、この御朱印帳は今に伝えてくれているわけです。

 

今は亡き外地の神社その①~樺太の亜庭神社~

例えばこちらの右ページ側。

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さきほどのスタンプと同じ日付、昭和10(1935)年9月7日付のこの御朱印は、樺太の大泊にあった「県社 亜庭神社」の御朱印です。

 

冨井正憲、藤田庄一、中島三千男「旧樺太(南サハリン)神社跡地調査報告」によれば、創立年は1912(大正3)年8月、県社に列格されたのは1930(昭和5)年7月とのこと。境内は3000坪の広さで、大泊市街と亜庭湾を一望する高台に位置したようです。

現在樺太はロシアが統治しており、かつての大泊は「コルサコフ」と呼ばれています。現在亜庭神社跡地には石段や手水鉢、建物の礎石などが残存し、旧境内は船舶カレッジのキャンパスとして利用されているとのことでした。

 

そんな亜庭神社ですが、この御朱印帳には御朱印だけでなく、

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このような亜庭神社の略記も挟まれていました。

 

現在も御朱印を頂くと、神社の由来をまとめたパンフレット的な紙も頂きますが、そのような風習はすでに戦前にはあったようですね。  

 

今は亡き外地の神社その②~台湾神社~

ほかにも気になった御朱印は、

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こちらの昭和8(1933)年7月10日付の、「官幣大社 台湾神社」の御朱印です。

 

台湾神社は1901年に創建された神社で、植民地におかれた最初の官幣大社(ざっくり言うと、最も格式の高い神社)です。

植民地を統治する際、しばしば宗主国は現地の人々を自分たちの文化に「同化」させることを試みます。日本の場合は天皇主権の国家体制に組み込むことが目指され、神道の神々を祀った神社には、その権威を示す象徴としての側面がありました。その中でも台湾神社は、台湾銀行が発行する紙幣のデザインに採用されるなど、特に大きな役割を担ったと言われています。

 

ちなみに台湾の神社は、日本の敗戦に伴いすべて破却されました。台湾神社の跡地には、現在「円山大飯店」というホテルが建てられているそうです。

 

現在では集めることのできない、(言い方は良くないかもですが)レアな御朱印

単に珍しいと言うだけでなく、その背景を考えると様々な事柄に思いを馳せることができそうです。

そんなことをつらつらと考えた、2020年の大みそかの夜でした。