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『宇治拾遺物語』に見る、トホホな恋愛事情。

宇治拾遺物語』といえば、学校の古典の授業でもおなじみの説話集。古典に疎い人でも、名前くらいは何となく聞いたことあるなぁ、と思う程度には有名な作品です。

 

仏教の説話だけでなく、合計197の多彩な物語が納められていることが特徴の『宇治拾遺物語』。今回はその中でも、屈指のくだらなさを誇る説話を紹介したいと思います。

 

 

宇治拾遺物語』について

成立した年代や編者は不祥ですが、鎌倉時代の初期に成立したと考えられています。

 

宇治拾遺物語』の序文によれば、平安時代中期に源高国がまとめた『宇治大納言物語』(※現在は散逸)を意識しているようで、この作品に採録されなかった話などをまとめて作成されたものなのだとか。

 

ちなみに、『宇治拾遺物語』は「説話集」と呼ばれるジャンルに分類されます。説話とは古くからの伝承全般を指し、これらを収録した「説話集」は鎌倉時代前後に多く作られました。

 

その中でも『宇治拾遺物語』は説話にありがちな教訓話が少なく、純粋な笑い話的なエピソードも多く採録されているのが特徴です。

 

藤原道長の孫、藤原忠家が遭遇した衝撃の事態とは!?

さて、今回その説話集から紹介するのは「藤大納言忠家物言女放屁事」というエピソード。タイトルからもあれな感じが伝わってきますが、どのような話かと言えば…

今は昔、藤大納言忠家〔注.藤原忠家〕といふける人、いまだ殿上人におはしける時、美々しき色好みなりける女房と物いひて、夜ふくる程に

 

まぁ要するに、藤原忠家が美しく魅力的な女性のところに夜這いに行ったわけですね。

そして、

月は昼よりもあかあかしけるにたへかねて、御簾をうちかづきて、なげしのうえにのぼりて、扇をかきて引よせられける程に

 

昼より明るい月の下、いよいよ良い感じになってきて御簾を上げて女性を抱き寄せようとしたわけですけれども、

いとたかくならしてけり。

 

…この女性、そのタイミングで屁をこいてしまったわけです。

さぁこうなってしまうと色々と台無しです。女性は、

女房は、いふにもたへず、くたくたとして、よりふしにけり。 

なんも言えねぇ…状態になってくたくたと座り込んでしまい、もうどうしようもない状態です。

 

こちらも極端、藤原忠家のリアクション

このグダグダな感じ、藤原忠家が何か格好よくフォローでもするのかと思いきや、

大納言〔注.藤原忠家〕「心うきことにもあひぬるものかな。世にありても何にかはせん。出家せん」

 

こちらはこちらで何をどうテンパったのか、こんな世の中に未練はないと出家を決意してしまいます。そして

御簾のすそをすこしかきあげて、ぬき足をして、うたがひなく出家せんと思ひて、二間〔注.約4m弱くらい〕ばかり行くほどに 

 

女性を放置、そのまま抜き足で出家を決意しつつ脱出を図るわけですが、どうやら4mほど抜き足をするうちに冷静になったらしく…

そもそもその女房あやまちせんからに、出家すべきやうやはあると思ふ心またつきて、ただただと、走出でられにけり。 

 

なんで女房のしくじりで自分が出家しなくてはならないの!? とセルフツッコミ、気を取り直すとそのままダダダっと女房宅から逃走していったそうです。

 

1000年たっても笑える笑い話

この話、その後どうなったか気になるところですが、

女房はいかがなりけん、知らずとか。 

 

 と、一切の後日談なく話はこれでおしまいとなります。

 

このように、この話からは何らかの教訓性を読み取るのは非常に困難です。おそらく『宇治拾遺物語』が成立した当時も、この話は一種の失敗談、笑い話として親しまれたのではないでしょうか。

 

よく世代が違うと笑いのツボも違うと言いますが、この話は採録から1000年近く経過した現代でも、面白おかしく読むことができるわけです。そう考えると、何やら中世の日本人が身近に感じられるような気もしてきますね。