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『大鏡』に見る、豪傑型な藤原道長像

今回は趣を変え、中世の史書から紹介です。

 

いわゆる「四鏡」の最初の作品として知られ、藤原氏摂関政治を中心に平安時代の政治模様を描いた『大鏡』。今回はこの『大鏡』の概要と、この史料を通じて描かれる藤原道長像についてご紹介したいと思います~

 

 

 大鏡の概要について

大鏡』は、藤原道長の事跡を中心に、文徳天皇から後一条天皇の治世下(850年から1025年)をまとめた歴史物語です。その体裁は、大宅世継と夏山繁樹やその妻の昔語りを若侍が批判、その様子を作者が書き留めたという形式をとり、人物中心に歴史を描く紀伝体でまとめられています。

 

ちなみに歴史物語とは、平安時代末期に成立した貴族の華やかな過去を追憶して書かれた物語です。「大鏡」は歴史物語の傑作として有名で、のちに「大鏡」の文体を踏襲して「今鏡」、「水鏡」、「増鏡」が記されました。これら4作品をまとめて、「四鏡」と呼ぶこともあります。

 

大鏡』の作者・成立年代は諸説あり定かではありませんが、平安時代末期に記されたと考えられています。また和語、漢語、仏教用語を交えた文体から、摂関家の内実を知ることができる高位の男性貴族が記したものと推測されています。

 

原作者が付けた書名はなく、『大鏡』以外にも「世継物語」、「世継のかがみの巻」など様々な名前で呼ばれてきました。今日一般的な「大鏡」とは、「歴史を映す優れた鏡」という意味があるそうです。


大宅世継と夏山繁樹って何者!?

上述したように、『大鏡』は大宅世継と夏山繁樹の昔語りが中心となります。

 

それは良いのですが、大宅世継は876年1月15日に生まれ、宇多天皇の母である班子に仕えたとのこと。対する夏山繁樹は、世継が25、6歳の頃に藤原忠平の小舎人童であったと述べています。そんな2人が出会ったのが1025年5月に雲林院で開かれた菩提講なので、もしこれが本当なら2人も200歳近く、仙人もビックリの長寿です。まぁなので、これらの人物は架空の人物で、著者の代弁者的な役割を果たす狂言回しを務めているようです。

 

さて『大鏡』の冒頭で、世継は

まめやかに世継が申さむと思ふことは、ことごとかは。ただいまの入道殿下の御ありさまの、よにすぐれておはしますことを、道俗男女の御前にて、申さむと思ふが、いとこと多くなりて、あまたの帝王・后、また、大臣・公卿の御上を続くべきなり

と、入道殿下(=藤原道長)の素晴らしさを語るため、ほかにも多くの帝、后、大臣、公卿の身上も語りたいと述べています。

 

そして世継の語りを通じて、藤原冬嗣(810年の薬子の変に際して蔵人頭に就任、藤原北家隆盛のきっかけを築いた人物です)から藤原道長まで20人の大臣の列伝がまとめられ、彼らに関わった菅原道真など他の貴族や、兼通・兼家兄弟や道長・伊周などの権力闘争についても詳しくまとめられています。

 

その際道長を賛美しようとする世継に対して、繁樹や若侍が横やりを入れて道長の悪事に言及することがあります。このように道長を褒めたたえるスタンスを取りつつネガティブな側面にも言及している『大鏡』は、同じ藤原道長の事跡をまとめた『栄花物語』と比較して、批判的な立場に立っているとも評されます。


大鏡』が描いた藤原道長

さてこの『大鏡』、内容は藤原道長の事跡が中心となります。それでは『大鏡』において藤原道長はどのように描かれているのでしょうか?

 

まず藤原道長についておさらいすると、道長藤原兼家の子で、甥の伊周との政権争いに勝った後に「氏の長者」となり、彰子、妍子、威子、嬉子の4人の娘を一条、三条、後一条、後朱雀天皇の后とし、およそ30年間にわたって権勢を振るった人物です。1016年に摂政、翌年には太政大臣に就任し、藤原氏の全盛期を築き上げました。

 

大鏡』において道長は、出世に貪欲で豪快な人物として描かれています。こうした道長のキャラクターは、有名な「弓争ひ」の描写からもうかがうことができます。

 

「弓争ひ」は、当時出世競争で伊周に後れをとっていた道長が、伊周の父である藤原道隆の前で競射をした際の出来事を描いています。さてこの競射、道長が伊周に勝つのですが、その際道隆は延長戦を行うように要求します。

 

これに対して道長

安からず思しなりて

まぁ要は、暗に伊周に勝ちを譲るよう要求されたことを面白く思わなかったようで、道隆に屈せず反骨心を示すこととなります。

 

具体的には、延長戦が始まると道長

道長が家より帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ。

とか、

「(注.道長が)摂政・関白すべき物ならば、この矢あたれ。

などと言い放った上で、2本とも矢を命中させました。これは道長が、伊周を押しのけて出世すると宣言したに等しい行為といえるでしょう。そして道長の気迫に動揺してしまった伊周は矢を外してしまい、道隆が慌てて競射を取りやめにするものの、すっかりその場は白けてしまったそう。この時の道隆の心境を思うと、中々モヤッとしたものがありそうです…

 

この逸話に示されるように、『大鏡』における道長は、逆境をはねのけるバイタリティ溢れる人物として描かれています。もしかしたら繁樹たちが指摘する道長の悪事も、清濁併せ呑む道長の度量を示すためにあえて記されているのかもしれませんね。