歴史好きのよもやま話。

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大隈重信の長話と妻綾子

さて世間は入学式、始業式のシーズンもひと段落しましたが、こういった学校の式典では校長先生のお話が付き物です。

 

しかしこれがくせ者で、正直長いばかりであまり面白くない。私などは馬耳東風で、まったく何も聞いていなかったのを覚えています。

 

このように、目上の人の長話は目下にとっては中々大変なものですが、今回は大隈重信の、長話にまつわるエピソードを紹介したいと思います。

 

 

『大隈候一言一行』と市島謙吉

 さて、今回紹介するエピソードは、大正11(1922)年に刊行された『大隈候一言一行』に掲載されたものです。本書の著者である市島謙吉は、早稲田大学の基礎を築いた「早稲田四尊」でもあり、大隈の腹心の1人ともいうべき人物です。

 

市島は本書において、大隈の様々な言動やエピソードをまとめています。そのうちの1つに、そのまんま「話好き」というものがあるのですが、市島たちが大隈邸に招かれたとき、こんなことがあったようです。

 

挨拶がとにかく長い大隈重信

やがて配膳の席が定まって、候〔大隈のこと〕は上座に着かれたが、座ると直ぐに話が始まって滔々として中々尽きそうになかった。私等は候の話を謹聴して居るうちは盃にも箸にも手を付けるわけにゆかないので、空腹も我慢しながら謹慎して居た。

現代でも結婚式などでは目上の人に挨拶を頼みますけれど、この挨拶ってできれば簡潔にお願いしたいものです。しかし大隈は話好きで話が止まらないらしく、市島も結構正直に、「我慢して聴いていた」なんて書いてしまっています。

 

こうして市島たちは大隈の話に耐えるわけですが、大隈の話は尽きる気配がありません。そのような中、助け船を出してくれたのが…

 

妻綾子の助け船

候は益々調子よく、話もはづまれて、いつ尽きようともわからぬ。其時、候の傍らに居られた夫人は私等が箸を手に取らないで居るのに気付かれて「あなたももうお止しなさい、皆様がご迷惑ですから」と云われると、候は「ウン左様か、かまわん、飲みながら話を聞いてくれ」と云われ、また爽快な座談を続けられた。

ここで大隈の話を遮ることができた唯一の人物が、妻である綾子です。 彼女は生粋の江戸っ子で、義侠心に富んだ気の強い人物だったそうです。

 

この会話を見る限り、綾子は大隈を立てつつ、うまい具合に転がしていたような印象があります。事実、2人の夫婦仲はとても円満で知られています。

 

しかしまぁ、スピーチと何とかは短い方が良いなんて言い回しもありますが、この感覚は100年前から変わらなかったようです。そんな感覚もうかがえるエピソードです。

 

さてここからは私事ですが、この記事で、ブログ開設前に書き溜めていた記事はひとまずおしまいです。ほかにも色々ネタはあるのですが、しばらくはネタの整理を行って、またそのうち色々と紹介していきたいと思います~