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黒田清隆の妻殺し疑惑!? 薩閥のグレーな関係

今回の話、出てくる人はみな悪い人です。

 

その中で一番悪い人、黒田清隆は叩けば叩くほどホコリが出るようなところがあり、言わば疑惑のデパートみたいな人物です。

 

黒田の疑惑の中でもシャレにならない部類の疑惑に、自分の妻を殺害したというものがあります。

今回はこの疑惑についてかなりのぶっちゃけトークを行った、千坂高雅の証言を紹介したいと思います(以下、〔 〕内は私が行った注釈です)。

 

 

千坂高雅ってどんな人?

今回のエピソード、元ネタは佐々木克監修の『大久保利通』です。

同書は1910年10月1日から1911年4月17日にかけて『報知新聞』で掲載された、大久保利通関係者の回想談を底本としています。 

大久保利通 (講談社学術文庫)

大久保利通 (講談社学術文庫)

 

(以前にも紹介した本ですが、読みやすく色々なエピソードが掲載されていておススメです!)

 

『報知新聞』の記者である松原致遠は、この企画のために様々な人物から各種エピソードを聞き出しました。そして松原が取材した人物の中に、今回紹介する千坂高雅がいます。

 

千坂は元米沢藩の家老で、戊辰戦争の際は奥羽越列藩同盟米沢藩総督として官軍と戦った人物です。廃藩置県後に内務省に出仕して大久保の配下となり、さらに石川県や岡山県の県令や、貴族院議員を歴任しています。

 

そのような千坂は、「友誼に篤き公」と題して大久保が情誼に厚い男であると語っています。それはまぁ良いのですが、問題はそのエピソードの中身です。

 

千坂の語る衝撃の内容

黒田が開拓使長官を務めていた明治11(1878)年3月28日、黒田の妻のお清が亡くなります。お清は黒田清隆の最初の妻で、当時まだ23歳の若さでした。

この出来事に言及した千坂は

事の起こりは、黒田清隆が夜半に女房を蹴り殺したのだ。何も蹴殺す気はなかったのだろうが、誤ってそういう事になったのさ。

と、さらっと衝撃の事実を告白します。

 

ちなみに千坂は、黒田が妻を殺した経緯について

何しろ黒田はヒドイ放蕩家で、夜分なぞはほとんど毎晩のように出て歩いて、夜半でなければ帰ってこない。〔中略〕始終酒と遊びに侵〔つか〕っていたのさ。〔中略、黒田の遊びに対して〕クドクドとお神〔注.女房のことです〕が何か言ったので、黒田は酒気に任して何だと怒鳴ったかと思うと、ドタンバタンと音がして、女房はキャッと言って倒れた。

と述べています。

 

以前このブログでも紹介したように、黒田は酒乱で有名で、酒によっては方々で迷惑をかけていました。

rekishi-yomoyama.hatenadiary.jp

 

しかしまぁ、千坂の言う通りなら酒乱の挙句妻まで殺してしまうとは…これでよく総理大臣に就任できたなぁと思ってしまいます。

 

広がる疑惑と政府の対応

で、黒田の話が何で『大久保利通』に掲載されているかというと、この騒動に大久保利通が深く関わってくるためです。

 

この騒動は程なくして新聞が取り上げることとなり、4月13日に『団団珍聞』が黒田の名前こそ出さないものの、政府高官が酒に酔って妻を斬り殺したという報道を行っています。そして『団団珍聞』以外にも、この疑惑について報道する新聞が相次ぎました。

 

これらの報道の影響もあり、政府内でも黒田の責任を追及する声が挙がったそうです。千坂は、特に伊藤博文などが黒田を批判したと証言しています。

 

このような状況で、当時内務卿だった大久保も意見を聞かれるわけですが、この時大久保が述べた内容は…

 

黒田の妻殺しに大久保が取った対応とは?

黒田は私と同郷のものでかつ親友ですから、私は自分の身に引き受けて、そんなことのないことを保証いたします。この大久保をお信じ下さるなら、黒田をもお信じ下されたい

 というものだったそう。

 

千坂のこの時の様子について、

今まで猛り立っていた参議連中も、今の大久保さんの一言で一遍に黙ってしまった。議論屋の伊藤もすっかり黙ってしまった。大久保がこう出ては万事は駄目さ。そこで三条〔注.実美〕公は「皆さん今の内務卿の御言葉に御疑惑はありませんか」と言われたが、ハハハハ、皆が疑惑はありませんと言って頭を下げたよ 。偉いものだね。それから自然と世の中の黒田に対する議論が鎮圧されてしまった

 と証言した上で、

こういうことは善いことか悪いことかはおれは知らん。けれども、大久保の友誼に厚かったことと、威望の大きかったことはわかるだろう

と述べています。何やら浪花節的な感じでまとめてありますが、これって大久保が同郷人のスキャンダルを、権力に任せてもみ消してしまっただけなのでは…?? 千坂さん、多分こういうことは悪いことと思います。

 

こんなきな臭い話を掲載した『報知新聞』もよくやるなぁ、って感じですが、案の定というかなんというか、1910年10月27日の紙面で

千坂氏の談話中、黒田開拓使長官の夫人に関する件は、記者の筆記に誤りあり、 ここに全部を取り消す。

 と、記事内容をすべて取り消す旨を告知しています。この辺りも、きな臭さに拍車をかけている感じです。

 

一応公的には、黒田の妻お清の死因は肺結核となっています。千坂の証言も公的には取り消されているわけですが、それで納得できるかというと難しい、そんな疑惑の残るお話でした。