歴史好きのよもやま話。

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木戸孝允と奇人橋市、謎の雪隠披露に興じる。

今日は軽めのネタを一つ。

 

『木戸日記』を読んでいると、時々木戸さんの謎な交友関係に驚かされることがあります。

 

そして今回はその交友関係の中でもトップクラスにユニークな、奇人橋市について紹介したいと思います~(以下、適宜旧字体や旧仮名遣いは現代のものに改めたほか、句読点を加えつつ引用しています)

 

 

橋市とは何者か?

そもそも橋市とは何者かというと、有名人でも何でもない市井の人です。

 

ただ中々侠気溢れる人物だったらしく、『木戸日記』の明治元(1868)年12月9日の項目を見ると

東京新銭座のもの橋一なるものあり、漆塗の事に頗る妙を得る、而してよく人を救い、窮困なるものを憐み、身に一銭を不貯、実に当時の一奇人也。余聴其名、今日軽薄世界此人あるを感じ、呼て遇之。曾て自朝廷所賜之百金を抛之恵み、今夜共に々々酔

 ということがあったようです。

 

どうやらこの橋市、東京の新銭座(と、いうことは現在の浜松町の辺りでしょうか)に住んでいて、私財を投げうっては人助けにいそしんでいたようです。この場合の「奇人」とは、悪い意味でなく良い意味で人と違う、という意味でしょうか。

 

木戸さんはこのような人物が大好きなため、評判を聞いた後に橋市を招き、飲んだりして親しくなったようです。そしてこれ以降橋市の名は、『木戸日記』内にもしばし登場します。

 

橋市が行った驚きの饗宴とは?

『木戸日記』を読む感じ、橋市が木戸を訪ねたり招かれることの方が多かった印象ですが、時には木戸さんの方から橋市を訪ねることもあります。

 

しかし、明治2(1869)年11月5日の記述を見た時、私は目を疑いました。

橋市茶を煎又酒を出し饗余、一閑室に清浄の雪隠を営久敷余の来るを待つと云、一奇遊なり。

橋市を訪ねた木戸さん、お酒などでもてなされるわけですが、それだけでなく橋市はどういうわけか物静かな部屋にキレイな雪隠を営み(用意した、ということでしょうか)、ずっと木戸さんが来るのを待っていたそうです。

 

雪隠って…やっぱりあの雪隠ですよね?

人をもてなすのにキレイなトイレを用意するって…橋市さん、悪い意味でも「奇人」な気がします。

 

これに対する『木戸日記』のコメントは、ただ一言「一奇遊なり」とのみ。どうせならもっと詳しくコメントしてほしかったものですが…一体どのような意図があったのでしょう…謎は深まるばかりです。